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183-衆-原子力問題調査特別委員会-3号 平成25年04月08日

森委員長

次に、伊佐進一君。

伊佐委員

公明党の伊佐進一と申します。
本日は、黒川委員長を初め事故調査委員会の委員の先生方、お忙しい中、このように御参集いただきまして、このように質問の機会をいただきましたことを、まず心より御礼申し上げたいと思います。
私、昨年末に初当選をさせていただきまして、これまではずっと十五年間、文部科学省でさまざまな仕事をしておったのですが、実は、その中で二度、原子力の事故の経験をしております。

一度目がジェー・シー・オーの東海村の臨界事故、その当時、私は原子力の危機管理の対応の係長をしておりました。当時は、オンサイトが経産省、オフサイトが文部科学省、当時の科学技術庁ということで、私は、このオフサイトの放射線防護のさまざまな担当をさせていただいた。その当時は、原子力災害に対する法律、法制度すらなかった状況でした。それを機に、ジェー・シー・オーの事故を機に、原子力災害特別措置法というものをつくろうということになりまして、私もタコ部屋に放り込まれまして、そこでさまざま、その一部でも貢献をさせていただいたということもありました。

二度目に対応させていただいたのが今回の事故でございます。私は当時、民主党政権下の副大臣の秘書官というものをしておりました。目の前で、政府の混乱であったりとか、あるいは官邸の混乱というのを目の当たりにしてまいりました。この対応対応がどうしても後手後手になってしまう、あるいは場当たり的な対応しかできない、被害だけがどんどん拡大していくというのを目の前で見ておりまして、本当に無力感というものを感じたことを今でも覚えております。

その当時は、その特措法の枠組みも超えてしまって、官邸が直接事故現場に指示を出してというような状況で、結局は特措法自体もワークしなかったということでございました。
こうして二度事故を経験させていただく中で何よりも私が思いを強くしたのは、まず何を差しおいても優先すべきなのは国民の命であって、住民の方々の安全であってと。ところが、この当然のことが、制度もあるいは機構もそうなっていないということだったと思います。
この件については、国会の事故調の皆さんに書いていただいた御報告書の中でも随所において記載されていることだと思います。

これまで、私は月に最低でも一回は福島の地に足を運んでおります。そこで現場の声をまずいただいて、それを反映していこうということで今取り組みをさせていただいているところですが、思いますのは、この代償としては、代償といっても余りにも重い、膨大な、莫大な代償で、そういう代償ではありますが、今回のこの事故の全容をしっかりと分析をして、また、今後のこの原発の廃炉をどのように行っていくのかとか、あるいはどのような規制が必要かとか、あるいは、何よりもこの被災者の方々にどのように向き合っていくのかということについて、しっかりと全力で取り組んでいきたいと思っております。
委員会の委員長また委員の方々、そして今回の事故調査委員会の先生方には、御指導賜りますようよろしくお願いいたします。

まず、事故の根源的原因と指摘されているところでございます。
原因のところ、恐らく野村先生の範疇かなと思いますが、今回、根源的な原因と指摘されているところ、何度もきょうも出てまいりました。規制する立場とされる立場が逆転している、結局、規制当局というのが電気事業者のとりこ、こう表現をされております。
例えば耐震基準を改定する。そのときには、当然既設の発電所に対しても新たな耐震基準というのを適合しているかどうか確認しなきゃいけない。いわゆるバックチェックと言われるもの、これがどんどん大幅におくれている状況でも、そのおくれについては規制当局は黙認していたということがありました。
また、先ほど来出ております津波への対応もそうです。津波が来れば全電源喪失するということは、これは、規制する側もされる側も共通認識として当時は持っていた。ところが何の指示もしなかった。
こうした、本来であれば何度も対応を打てる機会というのがあったにもかかわらず、結局明確な指示というものを出さなかったということを指摘いただいております。

こうした反省を踏まえて報告書で具体的に提言されていますのは、規制組織に対するさまざまな要件として、例えば高い独立性であったりとか透明性であったりとか、あるいは専門能力とか、さまざま要件を提言していただいております。これが昨年の七月の報告書。その後二カ月後に、新たな規制機関として原子力規制委員会、そしてまた、その事務局としての原子力規制庁というものが誕生いたしました。
それから半年間にわたってこの原子力規制委員会と規制庁はさまざま仕事をしてきたわけですが、まず最初の質問をさせていただきたいのは、現在の原子力規制委員会の仕事ぶりというのをごらんになって、国会事故調の先生方が指摘した点についてきちんと果たされているのかどうかということについて御所見をお伺いしたいと思います。

野村参考人

まず、独立性についてお答え申し上げます。
独立性については、規制委員会というものが三条委員会になっておる関係で、その独立性というのは組織法上確保されているという面があろうかと思いますが、実際、その規制委員会というものを支えております規制庁というところが、これがどのような独立性を確保できているのかということが最大の問題点であろうというふうに思っております。
そういう点では、本来、附則の中では原則ノーリターンルールということになっているはずでありますが、実態としては、それに対する一定期間中のリターンというものが許容されるような仕掛けになっているということもあって、やはり、かなりの部分で出身のところに対する配慮というものが存在するのではないかというふうに思われます。
といいますのは、もともとこの独立性の背景にありましたのは、御案内のとおり、経済産業省の中で、推進部署であります資源エネルギー庁と規制当局であります保安院というものが同居していることというのが一つの原因であり、そして、電力事業者の方は、保安院という人たちが実は経済産業省の中でエネ庁に比べてやや力が弱いということを見透かして、どちらかといえばエネ庁と手を握れば物が済んでしまうという形になっていたやにも見える部分、この部分を独立性によってきちっと解消してほしいということになっているわけでありますが、そうなった場合、仮に、省庁が異なる形のところ、外に出たやにも見えましても、将来的にはその役所に戻りたいという意識を持っている方々が多数占めていて、また、ある一定期間は戻れるということが事実上あり得るとするのであれば、それほど大きな変化はもたらさないのではないかというふうにも思うわけであります。

やや私の個人的な経験で恐縮でございますが、先ほどちょっと出てまいりましたけれども、大蔵省で不祥事が起こったときに金融監督庁という役所ができました。この役所に民間人として最初に採用されたのは私でございまして、私は四年間非常勤職員をやっておりました。
そのときにみんなが言っていたのは、ノーリターンだということ、逆にそれは当初は厳しいノーリターンだったんですが、だんだん緩やかになってしまいまして骨抜きになったという部分があるんですが、当初が相当厳しいノーリターンルールがしかれていたために、もう戻れないんだという発想が新しい組織に新しい命を吹き込んでいたということを私自身は実感しております。

そういう点では、ここの部分が緩やかになっていることは極めて大きな問題ではないかなというふうに考えているところでございます。専門性の問題については、先ほどもちょっと答弁させていただきましたが、やはり、世界の水準に比べて専門性はややまだ乏しいのではないかなというふうにも思っているところであります。
具体的な事例等については先ほども言及いたしましたので、以上のお答えで終わりにさせていただきたいと思います。

伊佐委員

ありがとうございます。
こうした組織の体制をどうしていくかということと同時にまた、この具体的な中身の話なんですが、ちょっと具体的な話として「事故の直接的な原因」のところで触れられているものです。

今回の報告書において、安全規制のあり方というものでさまざま提言をいただいておりますが、例えば、シビアアクシデントの対策というのをしっかり行っていこうであるとか、あるいは、既設の原発、先ほど申し上げたバックチェック、米国のバックフィットというもの、新しい基準に対してきっちりと適用していきましょうという制度であったりとか、あるいは火災とか火山とか、これまで外部事象の原因として考えられてこなかったところもしっかりと対応できるようにしましょう、さまざま提案いただいております。
その中で、まさしく今取りまとめを行っておるのが、新規制基準、昔は新安全基準と言っておりましたが、最近は新規制基準と先日から言われるようになりました。この中で恐らくおおむね採用されているのではないかというのが、先ほど午前中、田中三彦先生から御指摘いただいたところだった、まさしく深層防護の第四層の部分じゃなかったかと思います。

もう一つ重要な点がありまして、それは、この提言の中でも指摘されておりますとおり、未解決の技術的な課題というところです。引き続きの調査あるいは検証が必要だと。本来であれば、当然、実地検証して、さまざま原因、あるいは何が起こったかということを検証していく必要がある。
ところが、現時点においては、線量が高くてなかなか現場に入れない、検証できない、だから解明できないんだという技術的な課題ですが、その大きな一つが、午前中にまさしく田中先生からおっしゃっていただいた、主要な原因として果たして本当に津波だったのかどうか、地震だったのか津波だったのかどうかというところだったと思います。

東電の報告書では、要約してしまえば、原因というのは津波であって地震ではなかったというようなことを主に書いてある。ところが、その地震に対する対策自体は大きな問題じゃなかった、そういうふうに東電の報告書では書いているわけでございます。
こうした分析について疑義を唱えていらっしゃるところでありますが、私がもう一つ少しお伺いしたいのは、先ほど、設計思想の部分で田中先生が触れられたところ、つまり、午前中伺ったのは、SR弁について疑義ありとしたところで反論されたという話、その内容というのが、高温の中だったのでSR弁が機能しなかったという話を、反論されたというのを伺いました。でも、もしこれが本当に事実だったとしても、私はそれはちょっと変な話だなと思うんです。

というのは、緊急時で冷却しなければいけない、そういう状態のときこそSR弁というのを使わなきゃいけない。ところが、冷却できないときには使えませんということになると、これは自己矛盾に陥るわけです。つまり、設計上の設計思想の問題があるんじゃないかと思います。
また、同じように、最も大事なベントの機能、圧力を逃がす機能ですが、このベントについても、やはり設計上問題があるんじゃないかというふうに言われております。非常事態に必要な最も大事な設備であるにもかかわらず、その配管の部分の耐震の要求、この要求がCクラスになっている。一番厳しいのはSクラスです。ところが、この一番大事なベントの機能の配管がCクラスの耐震要求しかないという、こうした設計思想上の問題もあるのではないかと思っております。

結局、プラントの内部に入って実地検証しないとわからないところというのが依然たくさんあるわけです。でも、こうした事故原因の検証なく、これが不明なままで先ほど申し上げた新規制基準というものが七月に取りまとまって、公布をされてというような状況になっているわけです。
私がお伺いしたいのは、当然、これは未完成のものだと思うんです。これから、実地検証であったりとか、あるいは新たな知見を得て、どんどん改定していかなきゃいけないものだと思います。そうした中で、この新規制基準というものが、現時点で、それでも安全を確保するという上で有効性があるのかどうか、あるいは、どれほどの実効性を持つのかどうかということについてどういう評価ができるか、お伺いしたいと思います。

田中(三)参考人

難しい問題だと思いますけれども、まず、SR弁の話はちょっと微妙な御質問だったと思います。
SR弁というのがきちんと機能していれば、長時間はともかく、とりあえず、ある程度の限定された時間の間では、SR弁がきちんと機能しているということで燃料損傷というのを防ぐことができるわけですね。
今みたいに、SR弁の問題ではなくて、もう既に燃料損傷に入ったからSR弁が動かなくなったんだというのが某専門家の御意見ですけれども、私が言っているのはそういうステージの話ではなくて、まだ原子炉の温度が二百八十度ぐらいの普通の運転状態の温度、それで津波直後のときにもう既にSR弁が機能していなかった可能性を指摘しているのでございます。

それは今はここではどうでもいいことですが、新基準と既存の原発との関係が、福島の事故と非常に密接に関係しているというふうに私は思っています。
まず、今は当然のごとく、ベント、ベント、あれがついていればという話ですけれども、あれがついていなかった時代というのが一九九〇年まで日本はあったんですね。もし一九九〇年までにこの事故を起こすと全部爆発です、格納容器が。それで、これは一九九二年ぐらいに、ようやく日本がアメリカに倣って、それでベントというのをつけたということです。

格納容器というのは第四番目の壁と言われていますが、これを突破されては大公衆災害になるということで格納容器というのは設計されているわけです。しかし、格納容器というのは、その設計圧力になっているものは、ある仮想事故を想定したものに対して設計圧力が大体四気圧前後になっているんですが、日本の場合には、それ以上にはなり得ないという考えでずっと一九九一、二年ぐらいまで来ていたはずです。
それで、アメリカがスリーマイルの検討等をして、格納容器に関して、本当にこれが最後のとりででいいのかどうか、もし設計圧力を超えていった場合に対し、これはシビアアクシデントですけれども、そういうことが起こったときにベントをつけなきゃいけないんじゃないのかということを言われて、ようやく一九九一、二年ぐらいから、日本の原発にはベント管というのが、耐圧ベントと称するものがついていくようになったわけですね。そうしますと、日本がみずから進んでつけたものではないんですよ。
まず、そういう前提があったということも知っておく必要が我々はあると思います。

それから、今の御質問の中にあったように、設計思想が違うということは、その問題が非常に重要なんですね。私は、そのことで福島の事故を非常に重視するわけです。
福島第一号の一号、一F一ですね、あれは一九七一年に運転が始まりますけれども、設計がされたのは一九六〇年代の半ばです。それで製造されていくわけです。

もっと極端なことを言いますと、福島の前に敦賀の一号と美浜の一号が、大阪万博のときに、一九七〇年に運転を開始します。原子の灯がともったということで非常に有名になった。私はちょうどそのころ設計を始めたんですけれども、その原子の灯をともしたものは、あれは化学プラントとして構造設計されているんです。決して原子炉として設計されているのではないということです。したがって、ああいうものを何と言うかというと、デザイン・バイ・フォーミュラといって、公式を使って単純に計算をしていくという、そういう非常に伝統的なやり方で設計されたものです。

それに対して、それ以降、告示五〇一というのがようやく一九七〇年にできますが、これは、アメリカが一九六三年に初めてつくったニュークリア・プレッシャー・ベッセルズ、そういうものに対するASMEの行動を翻訳したものです。それが一九七〇年に七年おくれで日本でできました。これはただの翻訳本です。翌年の七一年には、アメリカはASMEを大きくさま変わりさせて、設計思想を変えます。そのことが日本には、一九八〇年、昭和五十五年に新しい告示五〇一号として出てきます。
それで、そこのあたりまで日本には耐震設計審査指針というものはありません。全くないんですよ。だから、ある程度、自主的に耐震設計の方法というものを使ってやっていた。
そうやって考えると、一九八〇年代までに建設、運転された原発というのは、その後一九八〇年以降に設計されたものとは、設計思想も違うし、それから材料技術、構造計算の仕方、そういうものが全然違うんだということです。
その代表として、一九六〇年代から七〇年代にかけて設計、建設された福島一号というのは、事故を起こしたという意味でいうと、ある意味でいうと、一九六〇年代、七〇年代に設計、製造、建設された原発というのはどういうものだったかということをよく検証する必要があります。
そういう意味で、私は、新技術基準というものを適用していくときに、一九八〇年代以前の原発、耐震設計審査指針もないような時代の原発、あるいは、古い告示五〇一号で設計されたような原発、こういうものはもう除外すべきだというふうに思うんですね。

それで、それ以降、耐震設計審査指針もできるし、それから告示五〇一も新しく改善されていく。さらに今度、新しい耐震設計がつくられたのは二〇〇六年ですかね。それまでにつくられた原発というのは、それはある程度、バックフィットだとかなんとかということで補強することがいいかもしれない。だけれども、それ以前の原発というのは、例えば、細かい話になって申しわけないけれども、構造上、バックフィットをしようと思ったってできないところがいっぱいあるんですよ。

そういうものをどうするんですかという、例えば、電力会社でやると、金がかかるから自然に淘汰的にそういうような原発は消えていくというそういう消極的なやり方をするのか、それとも、一九八〇以前の原発はもうこれは廃炉しかないんだ、その上で残った原発についてバックフィットできるものをしていくとか、そういうことをやる必要があると思う。

そういう意味でいうと、福島の事故というのは、古い原発がどういう事故を起こしたのか、これを徹底的に検証する必要があって、あのマーク1型と同じ原発というのは、日本に残りまだ十あるんですね。その問題が片づいていないというふうに僕は思っております。
それでもう一つ、長くなって恐縮ですが、今、循環注水冷却ということで原子炉に水を注入すると、底が抜けている、あるいは脇の方が壊れている可能性も僕は見ているけれども、とにかく漏れる。あのフラスコのようなところへ入っていく、それがなぜか漏れて下へ流れていくというそこのルートが見えないですよね。

そうすると、格納容器は一体どうやって壊れたのだろうか、どこに穴があいているんだろうか。初めは、あの格納容器に水をいっぱい入れる水棺方式というのを考えたはずです。しかし、それが入らないということがわかった。ということは、格納容器がどこかで大損傷しているんですね。そうすると、その損傷のモードというのはどうやっていっただろうかということをきちんと考えないといけない。

恐らく、これは私の想像ですけれども、メルトダウンをして原子炉そのものが底が抜けたときに、非常に高い圧力で、高い温度のガスと水素ガスと、あれは水の中に凝縮しないですね、それが多分格納容器に放出される。それは千数百度だと思うんですけれども、そうなると、それがそのまま猛烈な勢いでサプレッションチェンバーに飛び込んでいくわけですけれども、その過程の中で構造がやられているのかもしれないし、何かそういう非常に高温での動荷重的な問題というのも考えなきゃいけないと思うけれども、そういう議論は一切出ていないですよね。

ですから、格納容器に関してどうやって壊れたかという問題というのは、格納容器の中に入って非常に調べなきゃいけない。
損傷するといった場合に、我々がぱっと見た瞬間にめちゃくちゃになっているというのはこれはもう論外でして、例えば現場溶接線のところがぱくっと口が割れていれば、これは損傷です。こういうものはなかなか見ることができません。それから、ベローズというのがあるんですが、そういうところに損傷が入ったって、見ることができない。

こういうものは、見てわかるという世界になるには、三十年とか四十年、廃炉でほとんどみんな崩していく、その中で、こんなことになったということで、多分まだ生まれていない世代が、あの当時言われていた議論に初めて決着をつけていくというようなことがあると思うんですけれども、そういうものであると思うんですよ。

そうすると、わからないものに関して、あるいは危険なものに関して可能性を否定するのではなくて、そういうことが起きたかもしれないという、どちらかというと安全側に考えるコンサーバティブな考え方をとって、それでやっていくというやり方があると思うんですよ。

我々が耐震の問題について石橋先生と一緒になってその問題にすごく執着したというのが、まさに、一九八〇年代以前の原発が三・一一以前の耐力を持っていたかどうか。そのことで、非常に脆弱であった。それから、積極的に原発が耐えたという証拠がないということです。むしろ、特に一号に関しては、怪しいなと思われるところが幾つかある。

それからあと、我々がこう言っているときに、津波の問題とかSR弁の問題だとか小LOCAの問題とかいろいろ提起していますけれども、この一年、まだたちませんが、十カ月近くの間に、重大な反論というか、東電からあるいはどなたかから、これに対してそうではないよということを言われてはいないという、そういう問題だというふうに認識をしております。

伊佐委員

プラントについて本当に詳細な説明をいただきまして、ありがとうございました。

少し離れまして、今度は被災住民の対応についてお伺いをしたいと思います。崎山先生にお伺いしたいと思います。
今回の事故の被害の認識として報告書にも書かれております。年間五ミリシーベルト以上の空間線量を発する可能性のある地域は、福島県内で千八百平方キロメートル、政府の避難指示によって避難した人は全部で十五万人ということが書かれております。
もちろん、こうした避難されている方々が一刻も早くふるさとに戻れるようにということで今除染を行っているところでありますが、その除染については、この提言三でこう書かれています。除染場所の選別基準と作業スケジュールを示すと。
現在の除染作業のやり方というのは、線量の高いところと低いところを分けて、高いところは国がやる、低いところは地方自治体がやる。いずれにしても最終的な目標として掲げているのは、年間で一ミリシーベルト以下の被曝線量にしましょうということでございます。

この目標達成に向けて今関係者の皆さん努力をされているところですが、実は、一方、地元の方からはこういう声もいただいております。
例えば今回、福島県の県知事のお話を引用させていただきますが、一ミリシーベルトの除染目標の達成には苦労している、科学的な根拠に基づいて、帰還のために中期的な数値を示してほしいという訴えがあったと伺っております。
つまり、小さいお子さんを抱える例えばお母さんであると、一ミリシーベルト以上であればふるさとには戻りたくない、そういう御家族も当然いらっしゃいます。また、同時に一方いらっしゃるのは、とにかく一刻も早くふるさとに帰りたいという方々、私も福島に仮設住宅でお伺いした多くの方々は、例えばお年を召した方々は、何とか元気なうちにふるさとへ戻りたいんだ、最後はそこで住みたいんだというようなお話もいただいております。

つまり、この一ミリシーベルトというものを除染目標としてどう考えるかということがあると思います。
御存じのように、従来、我々が普通の日常生活で受けている被曝線量というのは、例えば空から、あるいは地面から、食べ物から、大体平均で二・四ミリシーベルトと言われています。それに加えて、例えば一般的な医療で、レントゲンで、さまざまな医療行為で大体一人当たり平均二・三ミリシーベルトさらに放射線量を受けていると言われています。
こういう状況の中で、果たしてこの一ミリシーベルトというものを、この健康影響というものをどう評価するのかと。中には、本当に帰還できずに避難生活をずっと送り続けてストレスがたまって、そのストレスでさまざまな方が苦しまれて、中には亡くなる方もいらっしゃるというのを伺っております。
中期的な数値目標というこの考え方についてどのように評価されるか、お伺いしたいと思います。

崎山参考人

それはすごく難しい問題であって、個人で随分違うと思うんですね。
高い線量のところを除染して、それで住民を戻すというようなことは、この中ではそういうことを書いてありませんけれども、個人的には、余りしない方がいいだろうと。除染をしている間の被曝というものもあると思うんですね。それと、周囲が非常に線量が高いところで被曝をしながら除染をしても、またもとに戻る。飯舘村なんかに行ってみますと、そういうところが随分あるんですよ。
ですから、そういうようなことをやめて、住民が住んでいるところを集中的になるたけ線量を低くしていく、そういうような除染の仕方をしなければいけないだろうと。

除染というふうにいっても、除染というのはできないですよ。要するに移染なんですね。放射能を消すことはできませんから、それをどこかに置かなければいけない。そういう置き場が実際にないところで仮仮置き場とか、そういうのを置きながらやっているということがあるわけですよね。ですから、移染をする、まあ除染というふうに言いますけれども、そこの選択というのが非常に難しいだろうというふうに思うんです。
その一ミリシーベルトを、もちろん、国際放射線防護委員会の通常の公衆の限度というのは一ミリシーベルトですから、事故前の一ミリシーベルトに戻すということは必要だと思うんですけれども、それもやはり、年齢とかその家族構成によって判断が随分変わってくるだろうと。

例えば五ミリシーベルトになっても、私たちのような高齢者でしたらそこへ住んでいても余り問題ないかもしれないですけれども、子供とか感受性の高い人たちはそういうところにはなるべく住まない方がいい。そういう被曝を避けるという意味では、やはり、除染ということよりも避難のことを考慮した方が効率がいいのではないかというふうに私は思っているんですが。

でも、それもやはり、人、家族によって違いますので、その家族がどういう選択をするか、例えば、一ミリシーベルト以上でしたら避難をしたいと言う人がいたら、その避難を国が積極的にサポートするというようなシステムをつくっていく。それが、原発安全というふうに言ってずっと推し進めてきた政策ですよね、それの責任のとり方ではないかなというふうには思っています。

伊佐委員

ありがとうございます。
本当におっしゃるとおりで、このきめ細かな対応がどこまでできるかということが非常に大事なことであると思います。先生おっしゃるとおりで、やはり難しいのは、特に、低線量被曝をどう評価していくかということがポイントかなと思っております。

先ほど来、崎山先生おっしゃっていただいたとおり、急性被曝、例えば髪の毛が抜けるとか皮膚の障害とか、こういうものについては閾値があります。この線を超えると症状が出てきますという線があります。でも、残念ながら、今回の低線量被曝、いわゆる晩発性の症状と言われている、例えばがんであったりとか遺伝的な影響があるとか、こういうところについては、リニアモデルという、多く被曝すればその分リスクが高い、少なく被曝すればその分リスクが低いということになるということを午前中おっしゃっていただきました。
ただ、その中で問題になるのは、百ミリシーベルト以下のところ、ここの部分についてはどれぐらい影響があるかというと、実際は、日常生活の例えば喫煙であったりとか飲酒であったりとか、我々が日常普通に生活する中でのリスクに紛れてしまうということをよく指摘されます。

今回、この事故で報告書にもあるとおり、住民の皆様約一万四千人の方々がどれぐらい被曝されたか、事故後四カ月のデータとして掲載していただいていますのが、一ミリシーベルト未満五七%、一ミリシーベルト以上で十ミリシーベルト未満、これが四二・三%、十ミリシーベルト以上が〇・七%と。この数字は、急性の障害の対象には当然ならない。晩発性の低線量影響というものがどれぐらいのものかという評価が大事だと思うんですが、相対する二つの研究成果がありまして、ここでそれをちょっと紹介させていただきたいんです。

まず一つ目は、日常生活のさまざまなリスク、先ほど申し上げた喫煙であったりとか飲酒であったりとか、これと放射線のリスクを比較します。それで寿命が平均的にどれぐらい短くなるかという研究です。
一番このリスクが高いものは何だったかというと、それは、男性が独身で居続けること、これが平均寿命三千日縮むそうです。二番目のリスクが喫煙、これが二千五百九十日。その次が炭鉱での労働、一千日です。寿命が縮む。同じぐらいなのが肥満。その後は、ベトナムへの兵役リスクが大体一年ぐらい、四百日というのが続いて、お酒が続いて、受動喫煙が続いて、放射線業務従事者、いわゆる法律で規制されて、一年間で上限五十ミリシーベルトまで放射線を浴びることが認められている方々、この方々が寿命二十三日分縮むと言われております。
これが一つの研究の成果。百ミリシーベルト以下の放射線被曝については、ほかの生活上のリスクに紛れてしまいますというのが一つの成果なんです。

ところが、全く相対する研究成果があって、これは何かというと、ウクライナの報告書です。二〇一一年の四月にウクライナでキエフ国際科学会議というのが開催されました。そこで提出された報告書。
これは、二十五年間にわたってチェルノブイリの事故の影響、患者さんをずっと診続けてきたお医者さんの方々が、全部で三十五人の方々で執筆されました。二百三十六万人のカルテをデータ化した。その結果何がわかったかというと、これまで低線量被曝として考えられてこなかった慢性疾患、心筋梗塞であるとか血管の障害、こういうものを増加させる可能性があるという結論が出ています。

これまでは、放射線の影響というのを考えたときに、国際的な合意の中では、例えば国連科学委員会であったりあるいはIAEAであったり、認めているものは、白血病であったり白内障であったり、あるいは甲状腺がんだけなんです。こうした心筋梗塞とか狭心症とか脳血管障害というのは、今の国際的なIAEAなどでは認められていないという状況です。

全くこれは違うわけです。データが違う。もちろん、このウクライナの例というのは、福島の方々と比較して被曝量が一桁も二桁も多いわけですから単純には比較できないんですが、ただ、同じ事象について全く違う研究成果が出ているということだと思います。
こういう状況、こういうようなお話を伺うと、我々素人は当然混乱する。被災者の方々はより不安に陥れられるという状況だと思います。
そこでお伺いしたいのは、この相対する二つの状況をどのように評価されるかについて伺いたいと思います。

崎山参考人

初めの、肥満とか独身とかたばことかいうリスクですけれども、それが寿命を縮めるというそのデータがどの程度信頼性があるかということは、私はちょっと比較できないというふうに思うんです。
それとあと、たばこなり肥満なり、そういうものは自分の意志で選択可能なリスクであって、今度の場合のように、放射能が勝手に飛んできてそこが汚れる、それで被曝するというものとリスクの受け方がまるっきり違う。ということで、そういう直接比較はできないだろうというふうに思います。いろいろなリスクがあるんですけれども、そのリスクというのは、自分で気をつけて低くするということが選択的にできるわけですよね、たばこはやめる。子供、赤ちゃんはたばこは吸いませんし、そういうのを直接比較するというのはできないだろうというふうに思います。

それからもう一つ、非がん性の疾患に関してですけれども、それはずっと前から言われているんですね。広島、長崎の原爆被爆者のデータでも、心筋梗塞とか脳梗塞、そういうものが線量に応じてふえていくということは、ずっと前から報告されています。ただ、専門家の方が特にだと思うんですけれども、それを余り皆さんに知らせなかったということがあります。

それで、非がん性の疾患の発生の機序、それは余りよくわかっていなかったということもあると思うんですけれども、最近は、放射線が体に与える影響というのはラジカルが与える、ラジカルができるということが細胞の老化を促進するということなんですね。放射線は非常に老化を促進するファクターであって、老化はどうして起こるかということはなかなか研究が進んでいなかったんですが、放射線を使って老化の研究ができるようになってきた。

その老化はどうしてするかというと、細胞の中のテロメアというのが短くなって、細胞分裂がもうできなければ老化する。それは、自然に、私たちが年をとっていけばテロメアはずっと短くなっていって細胞分裂能力はなくなるんですけれども、放射線によってそれを促進していくというようなことがあって、そうすると、細胞が老化すると動脈硬化の原因になって、動脈硬化ができると脳梗塞とか心筋梗塞が起こる。そういうようなメカニズムが放射線の研究以外のところからだんだんわかってきている。

ですから、今まで非がん性の疾患というのはほとんど無視されてきていたわけですけれども、そういうのもだんだんよくわかってくるようになるだろうというふうに私は思っています。

伊佐委員

もう時間ですので終わります。ありがとうございました。

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